2013年6月に全霊場制覇ではないけどお遍路さんをしました。
四国遍路に関して2017年3月にタイムリーなニュースを発見しました。
「62番札所である宝寿寺(ほうじゅじ)が四国88箇所霊場会から脱退!」
えっ?これって四国88箇所から87箇所になっちゃうこと?
記事内容がわたしには分かりにくかったので最初はそう感じました。
今回の記事ではこのニュースに関して詳しくみていきます。
62番札所脱会に関する報道
報道記事元が「朝日新聞デジタル」だったので、そちらを確認しました。
以下その記事です。
お遍路訴訟、62番札所の脱退認める 霊場会の請求棄却
四国遍路の札所寺院などでつくる「四国八十八ケ所霊場会」(香川県善通寺市)が、62番札所宝寿(ほうじゅ)寺(愛媛県西条市)の住職を相手取り、納経所運営要領の順守と未払いの会費の支払いを求めた訴訟の判決が(2017年3月)22日、高松地裁丸亀支部であった。小川雅敏裁判長は霊場会側の請求を退け、宝寿寺の主張通り、同寺の霊場会からの脱退を認めた。四国八十八カ所の寺院が霊場会から脱退するのは初めて。
霊場会は、四国八十八カ所巡りの寺院からなる任意団体で、正会員はそれぞれの寺院の住職。訴状によると、宝寿寺の住職は運営要領で午前7時~午後5時とされている納経所の受付時間を短縮したほか、参拝者に本尊が描かれた御影を授けなかった。また、会費72万円が未払いという。
裁判で宝寿寺側は「霊場会を脱退しており、要領に従う必要も会費を支払う義務もない」と主張した。
判決は、霊場会への入会手続きを定めた規定はないとしたうえで、「宝寿寺の住職であることをもって霊場会の正会員であるとは認められない」と判断。仮に入会していたとしても「退会の手続きについて特段の定めがない」として、住職が電話で不参加を連絡したことから退会が認められるとし、霊場会側の訴えを棄却した。
(2017年3月22日朝日新聞デジタル参照:参照記事は公開期間切れ)
*文中の太字部分はわたしが追記したものです。
上の写真は、四国八十八ケ所霊場会の本部がある善通寺市にある真言宗善通寺派の総本山「善通寺」。
弘法大師(空海)は善通寺の生まれです。
最初に読んだ時は、「四国八十八カ所の寺院が霊場会から脱退するのは初めて」とあるので、88箇所から87箇所になってしまうのか?と驚きました。
でも注意深く読むと
「霊場会は、四国八十八カ所巡りの寺院からなる任意団体」
とあるように、この団体は単なる任意団体。
サイトにある「四国八十八ヶ所霊場会とは」を読んでも何をしているのかは定かではありません。
おそらく88箇所ある札所がどこも同じように運営され、お遍路さんたちに気持ちよくお参りしてもらうようルールを決める統括的な役割を果たしているのではないかと思われます。
なのでこの任意団体が88箇所を決めたわけでもなく、ましてや88箇所札所自体から脱退させる権利を持っているわけでもないという解釈をしました。
こちらの霊場会に入会する手続きというのも特にあったわけでなく、88箇所札所なんだから入会して当たり前、という流れでここまで来たんでしょう。
霊場会の活動が始まったのが昭和33年(1958年)とサイトに明記されているので、契約書だなんだというややこしいこともなく、自動的に入会となっていたとしても不思議ではありません。
また未納である会費72万円に関しては、どれぐらいの期間に渡って未納なのかがこの記事からは不明です。
最初は年会費が72万円なのか?と思って、高っ!と反応しましたが、これもおそらく何年分かの会費が滞納されているんじゃないかと思います。
決して宝寿寺側を擁護しているわけではありません。
ちなみにですが、わたしたち、2013年6月にこの宝寿寺にお参りしました。
国道沿いにある街中の寺で特に印象に残る境内じゃなかったので写真は撮りませんでした。
この頃はすでに納経所の受付時間は通常の88箇所の時間である7時から17時ではなく、8時から17時となっていたようです。
そして12時から13時はきっちりお昼休みをとるというまるでフランスのお店みたいな営業時間。ww
(フランスのお店では12時から14時クローズというところが多いので。)
記憶をたどるとわたしたちが宝寿寺を拝観したのは午後4時台あたりだったので、たまたま受付時間の違いに気づかなかったんだと思います。
そして記事には「本尊が描かれた御影を授けなかった」とありますが、確認したらもらってました。
他の霊場と同じように札所番号、本尊の画像、寺院名が書かれたモノクロの御影です。
御影がもらえなくなったのはここ最近のことだったんでしょうか?
朝日新聞以外の記事や個人ブログなどもいくつか読んだところ、宝寿寺住職から暴言・暴行を受けたという穏やかじゃない噂もあるようです。
ただそんなことがあったら間違いなく記憶に残っているので、わたしたちにはそのようなことはありませんでした。
繰り返しますが、決して宝寿寺側の弁護をしているわけではありません。
そもそも88箇所はいつ誰が決めたの?
写真は52番札所太山寺(たいさんじ)の駐車場前にある風流な茶室。
このニュースを読んで改めて「じゃあ四国88箇所って誰がいつ決めたの?」「弘法大師?」と疑問がわき、自分なりに調べてみました。
四国遍路は弘法大師(空海)が始めて1200年の歴史がある、と書いているサイトも見かけましたが、それはちょっと疑わしい。
弘法大師にゆかりがある、というだけで彼が開創した巡礼ではないはず。
で、これは!と思った説がこちら。
1687年(江戸時代)に発刊された「四國遍禮道指南(しこくへんろみちしなん)」といういわゆるガイドブック。
「眞念」という僧侶であるらしい人(限られた情報しかない人物)によるこの実用的な書籍にはどこに泊まるといい、どう歩けばよいという現代の旅行ガイドブック的な情報まで載っているとのこと。
この本の存在を発見した記事はこちら。
【マジか!】1687年、四国八十八ヶ所を勝手に決めた「最古のガイド」
そしてこの本、今でも手にとって読むことができるんです。
こちらの本は電子書籍バージョンもあります。
前述の記事の信憑性が高いか低いかはそれぞれの判断にお任せします。
はっきりしているのは、四国88箇所を誰がいつ決めたのかははっきりしない、ということ。
身も蓋もない結論、、、ww
ひとつ言えるのは、四国八十八ケ所霊場会に各寺院を88箇所から追いやる権限はないということ。
霊場会に入ってなくても88箇所の一員であることには変わらないはず。
どうも宝寿寺をサポートするような論調になってますが、決してそういうつもりはありませんので。
まとめ:62番札所宝寿寺が88箇所霊場会を脱退!
はっきりしたことはわかりませんが、62番札所の宝寿寺は四国遍路の団体である「88箇所霊場会」を脱退したことは確か。
でもお遍路さんとして88箇所めぐりをする際、これまでと変更はなく、62番の札所が別寺院に変わるというわけでもなさそうです。
宝寿寺さんの実態についてはわたしに分かるわけはなく、批判も擁護も何もできません。
ただもし御影を授けてないというのが本当ならお遍路さんにとっては残念なこと。
それは改善していただきたいものです。
そしてお遍路さん、特に歩き遍路の方は宝寿寺へ行く時は時間に注意した方がいいですね。