2015年2月東北の旅。
宮城県の松島海岸を訪れ、気仙沼を経た同じ日の夜に岩手県の陸前高田市に到着しました
陸前高田はご存知の方も多いでしょうが、2011年3月11日の東日本大震災で最も被害のひどかった地域のひとつです。
陸前高田に到着した時は既に暗くなっていましたが、ここを訪れた一番の目的である奇跡の一本松が立つところへ車を走らせました。
当然ながら町はどこも暗く、行き方もよくわからなかったのですが、近くまで行くことはできました。
ただ間近に行けるのは17時までで、ゲートが閉められていました。
それでも満月の日の夜に一本松を目にすることができたのは運が良かったです。
震災前、ここには7万本ほどの松原がありました。
しかし震災で根こそぎ流され、奇跡的に残った1本の松も海水にやられて根が腐り、枯死してしまったのですが、復興のシンボルとして保存処理が施され、元の場所に再び立てられているのが「奇跡の一本松」なのです。
保存にあたっては、多額の費用がかかるということで賛否両論だった、というのも納得。
個人的には広島の原爆ドームのように歴史を後世に伝えていく意味でも残されてよかったのではないかと思います。
一本松があるそばにライトアップされた橋があるんだな、と何も知らなかったその夜には思っていた橋の存在を次の日になって知ることとなります。
次の日の朝、宿泊したホテルから見える景色(上の写真2枚)。
ようやく瓦礫の撤去が終わり、現在は津波で流されてしまった土地は山から削りだした土を使って整地する作業が行なわれているとのことです。
山から削りだした土を大型トラックで運び出すには時間がかかりすぎるので、山から町へつながる土を運ぶベルトコンベア(下の写真2枚)が敷設されていました。
前日の夜に見た橋もそのコンベアの一部だということを宿泊先のホテルの方に伺いました。
チェックアウトした後にも再び一本松を見に行きました。
前日の夜とは違い、周辺の様子もしっかり見ることができました。
ここを訪れる人のために駐車場やその横にはお土産屋もあります。
そこから徒歩5分ほどで一本松が立つ地に行くことができます。
一本松の横にある倒壊した建物はユースホステルだったそうです。
震災当日にはすでに休業状態だったので、ここでの被害者はいなかったようですが、痛ましい姿が残されたままです。
こちらの建物は震災遺構として保存される方向だとのこと。
私自身は震災当日は名古屋の自宅で揺れを感じ、それだけでも恐怖を感じました。
東北ではそれ以上の揺れがあり、津波で何もかも流されてしまった被害者の方達のことを思うと私が感じた恐ろしさなんてものではなかったはず。
震災からほぼ4年が経ったこの時点でもまだ町はほとんどが更地のまま。
市役所も仮設、レストランや居酒屋も仮設の状態。
ただコンビニは数多く見かけました。
私には1日でも早く仮設住宅住まいの方達が元の生活に戻れる日がくることを祈ることしかできません。
大した額ではないけど少しでも地元の人たちの助けになれば、と奇跡の一本松ラベルの貼られた日本酒の小瓶と陸前高田の震災前と震災後を写す写真集を買いました。
もう一つできることといえば、この震災を忘れないこと。
震災から4年経ってここを訪れた私たちはまたここを再訪したいと思っています。