hisayoの波乱万丈らしい半生 Part2


 
 
生まれてから最初の結婚、離婚までは
Part1にて>
 

離婚後の厳しい就活事情

ひとりで生きていかなきゃならない。
まだ両親とも健在だけど頼ってばかりじゃいけない。
 
当然就職活動を始めるものの
正社員としてのブランクが長い。
英語力はあってもそれにプラスαするものがない。
 
ナイナイづくしの自分。
悲しくなって自信をなくす毎日。
 
ようやく内定をもらえた会社は
輸入食品を扱う店舗を全国展開しているところ。
条件よくなかったけど拾ってもらったようなもの。
これが最悪の決断だった。
 
残業しても残業代払いませんよ、と
面接時に言われて、あれっ?と思ったけど
本当にそうだった。
 
そして上司にあたる女性からの
イジメとも言えるほどのひどい扱い。
毎日がつらすぎる日々。
 
それでも自分で働くと決めたんだから、と
きつい仕事を半年続けた頃、
続けていた保険が満期を迎えまとまったお金が手に入る。
 
よし!これを元手に勉強して手に職つけよう!
 
視界が狭くなってたその頃のわたしが考えられる最低限のことだった。
 
鬼上司に仕事を辞めることを伝えると
彼女はなぜか涙を見せて慰留されたけど
ひるまず
「辞めます!」と伝え退職。
 
(この超ブラック企業。超有名なお店ですが名前は伏せておきます。)
 

ニュージーランドでアロマ留学


ニュージーランド最大都市のオークランド
 
 
少しまとまったお金が手に入った後、
「これを活かすにはどうしたらいいだろう?」と考えた。
 
その時頭に浮かんだのが、
イギリス語学留学時代に生理がこなくなり
滞在していた町のアロマセラピーサロンで効き目のあるオイルをブレンドしてもらったこと。
そのブレンドオイルのおかげで生理周期が徐々に正常に。
 
その時もアロマセラピーを勉強してみたい、と思ったけど
当時は経済的にきびしく断念。
その後日本に帰国後は再就職、結婚あれこれですっかり忘れてしまっていた。
 
今こそ積年の希望をかなえるタイミングじゃないだろうか?
と考えたわたし。
 
そこで普通は日本にある学校、また海外ならイギリスを思い浮かべるところ。
でもわたしが選択したのはニュージーランド。
誰にも「なんでニュージーランド?」と聞かれた。
 
ニュージーランドを選んだ理由は
「住んでみたい国だったから。」という単純なもの。
 
最初の結婚時代に何度か旅行で出かけ好印象を持っていて
「ここに住んだら幸せだろうな。」となんども感じていた。
 
幸いアロマセラピーを含む自然医療の専門学校が
最大都市のオークランドにあったので
そこに通うことに。
 
英語力はブリティッシュカウンシルで勉強していた時に受験した
ケンブリッジ英検の成績が考慮されて問題なく入学できた。
 
入学後は徒歩圏内のフラットを借りて
家と学校の往復オンリーなハードな毎日。
 
英語力を認められたとはいえ、実際にネイティブの人に囲まれて受けるホンモノの英語での授業。
語学学校のあまいものではなかった。
 
わたし以外にいた2人の日本人女性と協力しながら
優しい先生たちにも助けられながら
最終試験にも無事合格することができた。
 
できればその後も勉強を進めたかったけど
それもニュージーではなくオーストラリアかイギリスで。
 
ニュージーランドに対する愛着は今でも変わらないけど
住んでいくうちに
「少し退屈かも?」と思うように。
 
結果的には勉強を続けるためには保険金貯金だけでは足りず
日本へ戻ることに。
 

NZ後の日本での生活と311


狭小アパートの自宅サロン
 
 
日本ではできればアロママッサージを実施しているサロンで働きたかった。
が、理想が高すぎて望みどおりの場所は見つからず。
 
「それなら自分でオープンすればいいんじゃないか?」
というわけで超狭い自宅アパートで自宅サロンを開くことに。
 
もちろんこれだけで食べてはいけないので、
離婚前に働いていたホテルレストランでの仕事を再開。
苗字が変わったので以前から一緒の同僚や上司は少し戸惑っていたが。
 
自宅サロンは友人かその知り合いしか来てもらえない状況。
ホテルのバイトもだんだん体力的にきびしくなってくる。
(早朝からの勤務だったので)
 
そんな折、あの311。
その時は仕事を終えてすでに自宅にいた。
名古屋でもかなりの揺れを感じ独りでいることがすごく怖くなった。
 
その時助けられたのが、少し前に始めたインスタグラム。
現在のように誰もが利用するSNSではなく、写真好きなコアなファンが集まる場所。
そこでメッセージをやり取りすることが多く、毎日の楽しみになっていた。
この日は世界中から心配するメッセージが届き、どれほど力になったか。
 
その中のひとりが実は現在の夫。
この後急速に関係が近くなった。
 
彼はその後実際に日本に来てくれ、わたしの家族とも会い
トントン拍子に結婚することに。
 
結局アロマサロンをうまく軌道に乗せることはかなわず、
再びホテルのバイトも終了。
 
でも彼とどうしても一緒にいたい、という思いが強く、
フランスへ行くことに。
 
人生2度目のターニングポイントだった。
 

フランスでの生活は理想とはほど遠く

2度目の結婚。
 
ある意味勢いでやって来たフランス。
もちろんフランス語は全く話せない。
知り合いも誰もいない。
 
ナイナイづくしでフランス生活がスタートした。
 
夫は常に協力的で独りでは何もできない子供以下のようなわたしのことを
何から何までサポートしてくれた。
 
結婚前からわかっていたことだが、なんとかなるだろうと思っていたこと。
 
彼には当時14歳になるひとり息子がいた。
 
1週間おきにパパとママの家を行き来する生活なので、
わたしたちといるのは1週間おき。
 
夫は
「おとなしくていい子だから大丈夫。」
と言ってくれてた。
 
言葉ができないからコミュニケーションが取れないけどなんとかなるかな?
 
と軽く考えていたけど、子供を持ったことがないわたし。
そんなに甘くはなかった。
 
確かに彼はおとなしくていい子。
ただ潔癖症なわたし。
衛生面で一緒に暮らすことがかなり辛い一面があった。
 
後4、5年経てば彼も独立するだろうからそれまでのガマン。
 
これをなんども自分に言い聞かせては1週間おきにストレスを感じる生活。
この繰り返しが何年も続いた。
 
フランスは冬が来ると日も短く天気が悪い日が多く、毎年冬うつに。
そして長年頭痛持ちだったのが、こちらに来て頭痛の頻度が増す。
 
あまりに再婚を急ぎすぎたのかな?
 
なんどもこの考えが頭の中をめぐったが、
「自分で出した結論。夫を好きなことに変わりはない。」
 
と、息子の独立をひたすら待ちつづけた。
 
この辛い日々を支えてくれたのはもちろん夫だけど、
愛犬(シバ犬)の存在も大きい。
いぬとの暮らしって本当に素晴らしい、と愛犬には感謝しかない。
 

フランス在住9年目の今

念願だった夫の息子が在住8年目ごろから独立し、
わたしたちの家に来る頻度が徐々に減ってきた。
 
その頃からわたしの精神状態がグンと良くなった。
 
息子の独立前から日本をはじめ、世界各国を写真家の夫と旅する生活はあった。
でも今はもっと自由に日程を組めるようになった。
 
そしてここ数年身体を動かすこと、そして筋トレをスタートしたこと。
これが身体的にはもちろん、精神面が安定してきた理由だと思っている。
 
筋トレが最強のソリューションである。

 
こんな本もありますが、保証できます。
 
筋トレで人生は変わる!と。
 
筋トレが3度目のわたしの人生のターニングポイントとなった。
 

2020年48歳のわたし
 
 
どうでしょう?
コレって波乱万丈な人生でしょうか??
アラフィフの現在ですが、まだ先は続く、です。
 
 

Advertisement