hisayoの波乱万丈らしい半生 Part1


七五三(5歳?7歳??)の記念写真
 

1971年9月7日生誕

未熟児いっぽ手前で生まれたわたし。
 
小学校にあがるまでは病気がち。
小学生の前半でおたふくかぜなどのウィルス性疾患にすべてかかる。
(早いうちに終了してよかった。)
 
小学5年の時に虫垂炎(盲腸)にかかり初の手術。
 
中学生になるまでは深刻ではないけど、病気がちな少女だった。
 

中学&高校時代

中学生の時は運動部だと先輩・後輩の関係が難しそうでイヤだなと思い、ブラスバンド部へ。
アルトサックス担当。
 
中学時代まではそこそこ勉強ができた(レベルの低い中学だったこともあり ww)ので
地元の進学校へ進学。
 
高校では冬になると冬眠すると揶揄されていたソフトボール部へ。
投球力がなさすぎてセカンドを守る。
部員同士が仲良く、先輩とともに格安旅行にも出かけたほど。
 
思えばここから旅好きとなる。
そして親友と出会ったのも高校時代。
 
中学までそこそこ成績良かったのが
それなりの進学校へ来るとまったく大したことなかったことが判明。
 
バリバリの文系路線を進む。
 

短大時代

四年制大学に進学したかったけど、親の反対で短大へ推薦入学で進学(英語科)。
 
それまで共学校にしか行ってなかったので、学校に女子しかいないことに違和感を持つ。
 
いい友人に恵まれたけど、なぜだか短大が好きになれず。
アルバイト(ホテルの宴会サービス)に精を出す。
そこで現在も続く友人と出会う。
 
そしてとある男性をアホみたいに好きになり頭の中はそればかりという破滅的な日々を送る。
 
短大を卒業した後にバブル崩壊だったので、運よくギリギリ就職は楽にできた世代。
 

最初のOL時代

名古屋でそれなりに名が通る短大に通ってたのと時期がよかったことから大企業に就職。
 
先輩も優しく職場の雰囲気もそれなりによかったけど仕事はタイクツ。
でもボーナスが新入社員でもかなりよかったのでボーナスをもらうたびに
「もう少し続けよう。」とズルズル。
 
短大時代にアホみたいに好きで付き合った男性とは不健康すぎる関係が続き、
ツラかったけど別れることに。(今ではこれで本当によかったと思える!)
 
その後、社内でのちの結婚相手となる人と出会う。
その彼と同じ部署になったことをきっかけにこの好条件の会社を退社。
 

イギリス語学留学


イングランドの田舎町
 
 
なぜイギリスだったのか?
 
それまで海外はオーストラリア(ケアンズのみ)とアメリカ&カナダに行ったことがあった。
英語圏の文化(映画や音楽)が好きだったので、結婚する前に一度どこかで長期滞在したいとの思いがあった。
 
イギリスの前に訪れた国は自然はあるけど歴史は浅い印象を受けたこともあってイギリスへ。
ロンドンから西へ2時間ほどのコッツウォルズ地方に位置するチェルトナムにある語学学校へ留学。
 
日本と比べて不便すぎる、そして天気が悪すぎるイギリス。
イギリスに対する愚痴だけで友人との会話が成立するという文句のオンパレードだった。
 
でもこの経験が狭かったわたしの視野をものすごく広げてくれた。
英語力もそこそこ伸びたけど、それ以上に日本にいただけではわからなかった
 
「世界にはいろんな人がいて、個々人の個性が尊重される。」
 
当たり前の事実を体験できたことが何より大きかった。
 
わたしの最初の人生の最初のターニングポイントだった。
 

名古屋で再就職&(最初の)結婚


97年時のわたし。若いけど顔がパンパン ww
 
 
語学留学は半年のみ(予算の都合で)。
その後はまた愛知に戻り、名古屋で船会社へ就職。
 
最初勤めた大企業とはうってかわって中小企業だったけど、やりがいは感じられる職場だった。
船会社で勤続中に前の職場で知り合った人と結婚。
 
職場の先輩や同僚は総じていい人ばかり。
ただ社長が変な人で時折ある長時間残業が結婚後の生活にはきびしく退社。
 
フルタイムの仕事を辞めた後は地元のレストランでパートタイムの仕事。
主婦業とのバランスがとれ落ち着いた生活を送る。
 
この頃は年に一度は海外旅行。国内もちょこちょこ出かける優雅な生活。
 
イギリス語学留学で得た英語力を維持したく、
名古屋にできたブリティッシュカウンシルの英語スクールにも通った。
ここでの勉強が一番英語力アップになったと思う。
 
ブリティッシュカウンシルに通い始めてから夜遊びが増えたわたし。ww
 
結婚前は親が結構きびしくあまりハメを外すようなことはできず。
なので結婚後デビューという情けないことに。ww
 
この頃のわたしの仕事は地元のレストランを辞めた後
短期の派遣業務を繰り返す不安定な就労状況。
(その後はホテルレストランでアルバイトもした。)
 

最初の結婚時の苦悩

普段の業務に加え、労働組合の仕事もしていた最初の夫は
次第に心を病んでしまい
うつと診断された。
 
彼は休職し神経内科でカウンセリングをしてもらい
薬を飲む日々。
 
それまでも主婦業は遊びながらもちゃんとこなしていたけど、
妙に責任を感じてしまい、
絶対に彼のうつを回復させる!
と妙に意気込む。
 
その意気込みからあらゆる本を読み
マクロビオティックの食事が精神を落ち着かせ
うつを回復するスピードアップしてくれる、
という情報を得て
マクロビオティックに関する本を読みあさり実行へ。
 
同時にケミカルな洗剤や歯磨き粉などもすべて処分。
やる時は徹底するわたし。
しばらくは外食もせずひたすら玄米を炊き、
ごま塩を作り、丁寧に食事を作る日々。
 
この時発見したのが、
自分がこのような食事が好きであること。
なので特に無理してマクロビオティック食を作る&食べる
ではなかったこと。
これは幸いだった。
 
そして彼も少しずつ元気になり
この食事を気に入ってくれたのが救いだった。
 
その後彼はほぼうつを克服。
ただ職場復帰はせず退職し
長野県の田舎暮らし支援のプログラムに参加し
長野へ移住することに。
 
わたしも彼の意向を支持しついて行った。
 
思えばこれが終わりの始まりだった。
 
それまでの人生、都会暮らしではなかったけど
それなりに便利な場所で暮らしてきた。
 
それが一転。
買い物に行くのに車で30分。
一軒家だけど周りは同じプログラム参加者ばかりで
生活をのぞき見されているような感覚。
そして長野の閉鎖的な人たち。
(たまたまそんな人が周囲に多かっただけだと思う。)
 
全てが受け入れがたく
わたしまでうつになってしまう。
 
幸い感じのいい神経内科の先生に出会い
徐々に回復したものの
長野での生活はわたしにはつらく
1年半で挫折。
また愛知に舞い戻ることとなった。
 
愛知に戻ってから
彼は園芸業の会社へ就職。
しばらくは普通に働いていたけど
再びうつ状態に。
 
1度目の時に頑張りすぎたわたし。
「またあの生活なのか、、、」
と重い気持ちになった時、彼が
「お前が働いてなんとかしろよ!」と。
(実際にはここまでキツイ口調ではなかったけど)
 
あんなにがんばったわたしを全く評価してくれないのか?
そしてまたうつ状態の彼と暮らしていくのかという重たい気持ち。
 
これ以上彼との生活を続けていくなんて無理。
その時のわたしは限界を感じていた。
 
そして離婚。
 
子供もいない。
資産もない。
 
紙切れ一枚の簡単な離婚だった。
 
あっけない幕切れ。
こうして10年の結婚生活が終了。
 
 
この続きは
hisayoの波乱万丈らしい半生 Part2にて>
 
 

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